末期状態

 

カウンセラーから非常に危機な状況にまでなっていると言われてから1ヶ月ぐらい。

自分自身の今の状況を、わたしは末期状態だと称しています。

あながち嘘ではないと思う。

 

それまでの過程を少し記しておきたいです
ついこないだも記事に書いたばかりなので、ほとんど被ってるのかも
言葉にすることで頭を整理することが目的だから、別にいいか。

去年の4月から、自由になりたくて、そして子供の物心がつく前に”わたし”という存在を隠したいと思った。

だから、子供と離れたい、1人になりたい、離婚して親と絶縁したいと切り出した。

親と絶縁して遠くへ行く事は、婚姻関係を続けていく上で居場所もバレているし非常に困難。

家族で離れることが一番理想だった。当時はまだ育児をしていたし、上の子だけ保育園へ預け下の子だけ毎日面倒を見ていたし、その上で家事もまだ何とかしてた。
でも、虐待の連鎖が怖かった。
自分と向き合い脳内親を消すためにも、物理的に親から離れたかった。
当時はまだ連絡も頻繁にきていたし、口実を作っては会うことを強要(断れない状況に)されていた

少しでも理解して欲しくて”毒になる親”を夫に渡すも、読んではくれなかった。
自分がされてきたことを虐待だと認識して子供にはしないようにする、という努力もわたしにとっては尋常ではないものだった
それも、理解されなかった。
「なんで?せんだらええだけやん。」の一言で済まされた。

そこから、一人暮らしで離れるか離婚を選択して欲しいとお願いしたけど、受け入れてもらえなかった。

5月から一ヶ月ほど、ものがほとんど食べられなくなりずっとウィダーインゼリーを摂取するだけの生活が続いた。
産後どう頑張っても落とせなかった体重が産前以下まで一気に落ちた。しんどかった。

6月に一人旅の許しをやっと得て、2、3日で決めて衝動的に一人旅に出た。2泊3日の短いもので、気晴らしというよりは「これでも何も得られなかった」という気持ちが強く、帰るときにはうつ状態がひどくなった。次の日親が家に来るという約束があった、そのため旅行中も連絡がひっきりなしだったのも原因だったけど。

あかん、回りくどすぎる。

9月に自己肯定感をどうにかしようと思ってコンプレックスを少しでも減らす為に学校へ通って高卒資格を取ろうと思った。

その為には親に頭下げてもいいと思った。

それを夫に話したところそれどころじゃない、職がなくなる(家事育児出来なくなったわたしのせい、全て負担してくれてた)、退職じゃないから手当ても出ないということでもううちの親に頼ると言われた。

お金関係が親子関係に於いて一番地雷なのを知ってて。

そんなぐらいやったら夜の仕事でもしたらええんかって喧嘩腰に言ってしまったところ、メールで稼いでくれるならありがたいけどと言われたので肯定と捉えその日に体験に行って仕事してきた。

すると今度は「俺の許可もなしに何で勝手に働いてんの?」ってキレ出した。

そこから9月中旬から体験を始め、夫が思ってるような仕事じゃないこと、店の女の子を見ていることが、感情を出すということの勉強になること、息抜きになることなど話して、黙認してくれるようになった。

10月から本入店。

元々うつで寝たきりだったのがいきなりフルで働くようになって、無茶し過ぎた。出勤不安が酷くなり、でも今までみたいにそれで辞めるのはどうしても避けたかった、自分に負けたくなかった、10月後半に自分と向き合う目的で3日ほど入院。

カウンセリングも診察も受けられなかったけど、今まで忙しく疲れて向き合うことすら出来なくなっていたわたしには結構な気晴らしになりました。

出勤不安で2度ほど休んだけど、11月まで持ち堪えた。

ただ、寒さに弱く季節性うつっぽいのもあって体調は悪化する一方だったので、12月いっぱいで退職を決めたけど、そのまま引き止められてズルズル2月まで在籍だけしてたまに出勤させてもらっていた。

お店の女の子との出会いは本当に貴重で色んな話が出来たし、お友達にもなれたし、お店にも本当にお世話になった。
そして、今までギリギリで生活していたため自由に使えるお金というのがなくて、自分で働いて稼いだお金を自分で使えるということは自己肯定感に繋がっていたと思う。
実家にいるときは給料も全部把握されて監視されてるような感じだったから。

12月末で一応一旦辞めた形になり、そこから1週間ほど寝込んだ。風邪が悪化していたのもあるけど、完全に燃え尽き症候群。

これからどうしていけばいいのかわからない。
自己肯定感が少し満たされてる間、躁と鬱を繰り返し、仕事のときは躁状態になるように薬で調整したりしてた。(そのうち必要なくなった)
そのときに、もう一度ピアノに挑戦してみようかと思った。
過去に縛られた原因であるピアノだけど、だからこそ今自分の意思でもう一度始めてみるのはいいんじゃないかってレッスンに通い始めた。

今、レッスンは行けなくなってほとんど休んでいる状態。
そもそもピアノに触れてない。
練習をするエネルギーがない。
病院も、2回に1回ぐらい休んでいる。

去年の9月ぐらいに実家には内緒で、産みの母親と二人で会った。
今までのことを話して、本当の理由を聞いたりして、憎めなくなった・
今度は憎む先がなくなってしまった。

幼少から思春期に実家から受けた影響はかなり大きいし、未だにトラウマも多い。
だけど、カウンセラーはどうしても産みの母親に置いて行かれたことを原因に誘導しようとしている気がする

そんな中で、2月に、遂に自分のインナーチャイルドが爆発した。
きっかけは些細なことだったけど
本当はわかってた、ずっと蓋をしてた。
これを開けてしまったら、わたしはもう生きていけないと思った

その中身は”寂しい”、”置いていかないで”という感情

即座に蓋をした

とまあ何だかんだあって、今は廃人のように過ごしたり、かと思ったら急に遊びに出たり、自分でもコントロール出来ないような生活をしています。

これから先のことを考えて、子供と離れるにしろ何にしろ自分は仕事をして自立をしなきゃいけないんだろうなあという考えに捉われては勇気もなく

夫の協力のおかげで親と会わない、連絡を取らないで済んでいるんだけど、
わたしに直接連絡をしないという約束もお酒のせいにして破られたり。

とにかくここから逃げたい

この状態から脱出したい

これだけ甘えさせてもらって何をほざいてるのかと、また自分で自分を責めるだけになるのだけど

ここにいれば、母親という役目に戻ることをずっと期待されているプレッシャーから、離れられない。

だけど結局は一人で生きられないから、どうしようもなくて

そんな感じでずっと堂々巡りです。

ずっと、逃げることか戦うことを選択しては失敗を繰り返してきてるとカウンセラーさんに言われてなるほどなあと思いました。

かと言って他の選択肢なんて思いつかないし
何をするにも自分で自分の責任を取るということが出来ない
一人の社会人として生きられない

自分と向き合うことから逃げている
すでにもう、病気が治るとも、治そうとも思えなくなってしまっている、そんな状態です。

色々長々と書いてみたはいいけど、やっぱり結局何にもまとまらなかった。

見捨てられ不安が触発されたとして、その相手には何の責任もない。
見捨てられ不安という感情はわたしのものであって、他の誰かが背負うものじゃない。

それでもどうしても辛いなら、やっぱり死を選ぶことが一番楽なのではないかと

思いつつも、今死ぬことはどうしても出来ないんですけどね。

取り敢えず、自分でもわからないけど感情っぽいもののツイートを適当に拾ってきた。

真相はここなんだろうな。

ただ垂れ流していても何も整理出来てないし解決するわけない。苦しい。ここらでやめる。

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